■ 自然をコントロールしようとするのは やめてくれ
  ■ ゆっくりでいいから うごかせば なんでも うごくよ

2011年3月9日水曜日

温かな日が続き、雪解けが一層早まって、
我が家の畑は、端の方から徐々に黒土が見えてきている。
畑の畝がくっきりと現れて来ている。

朝起きだして廊下を歩いていると、
扉の向こうの居間から、かすかに鼻歌が聞こえてきたので足を止めた。
義理の母の鼻歌である。
何の歌か、耳を澄ましたけれど分からなかった。
扉を開けると、ほっかむりした農作業姿の義理の母が、
出かけるところだった。
畑の土が見えて来たので、何かできる作業があるのだろうか。
嬉しそうに表へ出て行った。

私は、百姓しかやったことしかないし、知らない。
と随分前に言った義理の母の言葉が、ずっと耳に残っている。
百姓。
百のことができる、何でも一人でできる素晴らしいことだと思う。
食べ物を、一人の手で一から生産する。
尊敬している。

強風の音に混ざり、ピーチクパーチク、鳥の鳴き声が聞こえている。
黒土から虫たちが出て来ているのだろうか。
畑でも、義理の母は、鼻歌を歌っているのだろうか。

2011年3月7日月曜日

韓国ドラマ

昨年、韓国ドラマ撮影に参加した。
撮影地は、三重、愛知、岐阜の東海地方。
リサーチからロケハン、ロケまで2ヶ月ほどの参加で、
そりゃ気持ち良かった。
確かに気持ち良かったのだ。
撮影は実に気持ちが良い。あの緊張感はいつになってもたまらない。
寝食ともにしたスタッフの気持ちが一丸となると、
撮影現場で宿るものがある。
それは、フレームに現れる。
抽象的な表現で良く分からないと思うけれど、
音楽やってる方だったら理解頂けるかもしれない。
そのドラマは韓国では昨年末、放送は終了していて、
韓国でのタイトルは「悪い男」。
日本では、公共放送にて放送予定であるが、そろそろか。
邦題は「赤と黒」。
韓国スタッフ80名、日本スタッフ5名で挑んだ。

一年ぶりに新たな企画の連絡あり。
韓国俳優は良く知らないが、唯一知っているべっぴんさんの
キャスティングが決定しているようだ。
わが地元でやりたいなあ。

韓国ドラマも素晴らしいが、
我々は中華企画。
中国との交流をもっともっと深めないと。

我が地元とつなげる中国ドラマ、中国映画。
ほんの少しずつだけれど、繋がって行ってる。

2011年2月22日火曜日

木起こし

未熟で、倒れかかった木に添え木をする。
木こりをしていた時の早春の作業だ。
雪に埋もれてもじっと耐えてようやく春の気配を迎えた小さな木はひ弱だ。
落ちていた枝を土中に差して、そこから紐を張り、
ひん曲った未熟な木にくくりつけて、
真っすぐ成長することができるように手助けをする。

人それぞれがその木で、添え木はそれぞれの仲間たち。
ひょろひょろ軟弱な自分を、自分では軟弱だとは思っていなくて。
これは精神の部分だと思う。
添え木は、寄り添ってくれる。繋がってくれている。
それだけ添え木は起こしてくれるのだから、
木は丈夫にならなければならない。

添え木もいろんな感情を持っている。
その添え木に支えられて、ひとつの木は生きていく。

ずっと前、自分が、山で適当にやってしまった木起こしの木は、
真っすぐ伸びてくれているだろうか。

自分を起こそうとしてくれる仲間たちは、
どれほど真剣に向き合ってくれていることかと思えば、
頭が下がる。

支えてくれてありがとう。

2011年2月14日月曜日

春近し

十和田での暮らしで、鳥に興味を持つようになった。
大ロングの空を優雅に飛ぶトンビやワシ、
今の時期に見られる青空の中の白鳥は特に美しい。
我が家の庭に今年も二羽のサクラ鳥が来るようになった。
全長25cmほどの灰色の鳥で、多分毎年、同じサクラちゃんが来ている。
夫婦なのか、つきあっているのか、兄弟なのかは知らない。
朝一番、小さな木の枝に4等分して種を取り除いたリンゴを差しておくと、
それを食べにやってくる。
と、数十羽のスズメ達が後ろに控えて残りを待っている。
これも毎年の光景で、ほのぼのと見ていると、
そこにカラスがやってきて独壇場となる。
リンゴ全部を持っていこうとするので追い払い、少し経つとサクラちゃんは
また戻ってくる。戻ってきたかと思うと後ろにスズメ達が控えている。
サクラちゃんとスズメ達は友達ではないかと思う。
お互い警戒心がないようだ。逆に安心しているように見える。
サクラちゃんが一通りリンゴをついばみ終えると、
スズメ達に、どうぞと譲っているように思う。
その後、スズメ達は全て平らげる。
それが今の時期、朝から昼にかけて毎日繰りかえされる。
サクラ鳥もスズメも集団で暮らす鳥だから、住まいは同じ林の可能性もある。
むむ。もしかしてスズメも毎年同じスズメ達なのか・・・
だとすると、あいつらは、他の仲間たちに内緒でいつもやってきているの
だろうか。
寝そべって窓越しに観察しながら、そんなことをくそ真面目に考えている。

サクラ鳥は、春を告げる鳥だそうである。
いち早く我が家に春を運んでくれているとしたら、
今日も一日穏やかな気持ちになる。

2011年2月10日木曜日

うつつ

テレビで言ってたんだけどさあ、と子供が言う。
そんなの本当なのか嘘なのか分からないから、
ほとんどが消費させるため(買わせるため)の煽りだから、
信用するな、と言い聞かせる。
広告に携わってきた自分も過去にやっていた手法だからなのだが、
ふん、またいつものお父さんの小言が始まった、という顔だ。
これはもう、自分が責任を取っていくしかない。
子供にとってはテレビの中が現実化している。
入り込んでしまっているのは見ていれば分かる。
ゲームも危険だ。
小さなフレームに入り込んでしまって、
この〜、とか、ちきしょうとか、やった〜とか言っている。
脳みそが危険な状態になっている。
現実ではない現実で、ちきしょうとかの感情が生まれている。
ゲームのフレームなんか現実ではありゃしない。

あなたの現実は、
あなたが生きている目の前で起こっていることであり、
私たち家族の暮らしが中心であり、
その瞬間の積み重ねそのものなのだ、ということを
しっかりと伝えて行く。
必ず伝えきらなければならない確かな責任だ。

広告は(メディア)はそれだけ効くのだから、影響力があるのだから、
あくまでも正しく使用していきたい。

2011年2月9日水曜日

やるべきこと

先輩の紹介で職にありついたのはいいけれど
自分は何がやりたいか、悩み続けた20代。
常に何かに追い立てられているような心境で、
乱雑に駆け巡った。苦しかった。

峠を越えると一本道が広がった。
一気に見晴らすことができた。
永遠に続くかとも思った。
でもそれはあくまでも一時的なもので、
その先には、分かれ道があった。
何ができるのか、考え続けた30代。
自分は何者なのか少しは知る。

越えても越えても先の見えない尾根の数々。
ある日、肉体がついていけそうもなくなった。
そうなると精神も弱り果てた。

それでも薮を越えて行った。
ひとつの薮を越えると、人がいた。
がんばって気をつけていけ、と励ましてくれる。
泣いてしまったら少しでも楽になれるだろうが、
涙は流れなかった。
それでも歩きはじめると今度は小さな木の根っこにつまづいた。
根っこを恨んで踏みつけた。
自分の足が痛くなった。

小さな木を見上げた。
緑の葉が生い茂っていて木漏れ日が差している。
しっかり根が張り、短いけれど幹はたくましく、
葉々がかさかさ鳴っている。
うらやましかった。
自分の根っこは張っている最中だと思った。
自分の幹はまだ曲がっていた。
自分の葉は所々にしかついていなかった。

何をやるべきか。

本日40歳。二度目の二十歳。
まずは、根っこの母親に感謝を伝えよう。
すると家族や友という葉がかさかさと喜ぶのだ。
そして自分という幹がほんのちょっとだけ太くなるのだと思う。

2011年2月4日金曜日

あおビタV

都会で息苦しくなったら、
心をゆるめたくなったなら、
人恋しくなったら、
逃げ出したくなったなら、
会いたい人のことを思ったら、
人のいないところで考えごとをしたいと思ったら、
水や木々の音が聞きたくなったら、
風の香りを嗅ぎたいのなら、
圧倒的な白や緑色を焼き付けたいなら、
体が喜びたいのなら、
人生崖っぷちだと思ったら、
長い耳毛に気付いたら、
すかしっぺを手のひらで自分の鼻にあおいだら、
ほんずなしだと思ったら、
子供のころを振り返ったなら、
穏やかに行きたいのなら、
裏切りはうんざりだと言うのなら、
点数はいらないのならば、

今日もほんとにおつかれさん。
空を見上げて
あおビタVで元気出して。
※じわりと後効きタイプです。